健常者の場合、
職業とか家族が
生きる意味を
与えてくれるので、
あまり生きる意味とか
考える必要は生じない。
だが、我々
精神障がい者は違う。
職業も
家族もなく、
時間は有り
余っている。
必然的に、
生きる意味と
向き合わなく
てはならなくなる。
私の場合は、
英語道に生きる
意味を見出した。
私なりの工夫だ。
英語道に
支えられて、
ここまで来た。
今は、
霊的人生観が
私の支えだ。
人間の本質は
霊魂であり、
神仏に近づくために、
輪廻転生して
魂修行をしている、
と言う考えだ。
この考えによると、
我々精神障がい者は、
厳しい修行を
みずから選んで
生まれてきた勇者なのだ、
という事になる。
英語道では
支え切れ
なかった所を
霊的人生観が
支えてくれて居る。
だから、
幾らAIが
発達しようとも、
霊的人生観は
必要とされる。
人間が
生きて老い、
病を得、
死んでいく限り、
霊的人生観は
必要なのだ。
ちなみに、
健常者も、
死を迎える頃には、
人生の意味と向き
合うこととなる。
遅いか早いか
の違いで、
どのみち人は
霊的人生観に
ぶつかる様に
なっているのだ。
その刻を
時節到来と言う。