記事を描くのに
苦労している。
GPT4の出現を知り、
もうブログは終わりか、
と思ったりした。
少し絶望したが、
もう少し
リサーチすると、
AIには書けない
種類の文章が
あることを知った。
自分の体験を
交えた文章は、
教師データが
少なすぎて、
AIには生成出来ない
らしいのだ。
AIがもっと進化して、
私の文章を
全て取り込んで、
私モドキの文章を
生成することは
あるかもしれない。
岡田斗司夫さんの
動画によると、
将来的にはそう言う事も
あり得るらしい。
かと言って、
私がブログを
描くのをやめる
理由にはならない。
幾らAIが発達しても、
自己表現の歓びが
消える訳ではない。
それは、幾ら
輸送機関が発達しても、
人間が走ることを
やめないのと同じだ。
自分の内面を
言語化すること自体に
歓びがある。
幾らAIがウタを
歌えるようになっても、
人間が自分の身体を
使って歌唱する歓びは
なくならないのと
同じなのだ。
話しは変わるが、
ブログも
150記事になると、
気づきめいたモノに
到達する。
一番の気づきは、
あまり良い
コツなどなく、
実践するしかない
ということ。
何か高価な
情報商材を買ったら
何とかなる訳では
ないのだ。
出来る人は
誰に習わずとも
できるし、
出来ない人は
誰に習っても出来ない。
つまり、
自分の中に何らかの
蓄積がない人は、
何をどうしようと、
多くの記事を
描くことは出来ないのだ。
やはり、
代償の法則は
真理なのだ。
私の払った代償とは、
35年に渡る、厳しい
闘病の苦しみだ。
私が健常者で、
流されただけの
人生を送っていたら、
こんなに記事を描く事は
できなかっただろう。
何度も何度も絶望し、
もがき、戦って
きたからこそ、
人の役に立つ記事が
描けるのだ。
と同時に、
汎用ノートに25年間
思考プロセスを
描いてきたからこそ、
文章表現力が身に付いた。
今では、
今までの人生に
感謝をしている。
確かに、
人並みな幸せなど
無かったが、
この人生でしか
味わえないことも
沢山あったのだ。
そうしたことを、今、
コトバにして紡いでいる。