人生で一番苦しいとき、ウタが居た。
私を支えてくれた。
30歳から独居生活をした。
苦しかった。
何か生活に彩りを与えるモノを探していた。
ラジオを聴いた。
FMだ。
ミスチルのAnyと中島美嘉のWillが流れていた。
涙を流して聴いていた。
どれほど救われただろう。
どれほどの感動を貰っただろう。
その時からFMにハマった。
私が住んでいたところでは、
某FM局が聴けた。
カウントダウン番組を聴く習慣が出来た。
毎週欠かさず耳を傾けた。
某DJの軽妙な語り口に癒されていた。
当時、デイケアに通っていた。
デイケアでは喫茶を担当していた。
未来はみえなかった。
病状も良くはなかった。
クスリも多かった。
そうこうしているうちに、
保健所のケースワーカーから
パン屋の仕事を紹介された。
良く分からずに、飛びついた。
仕事はキツいなんてもんじゃなかった。
地獄そのものだった。
18の時の入院を除けば最高の地獄だった。
この経験があったので、
今まで生き抜いて来れた。
今ではパン屋の人達に感謝している。
私の魂への焼き入れだった。
少々のことではへこたれない
根性が培われた。
パン屋で1年11ヶ月修行した。
それから作業所に通う事となった。
パン屋よりは負荷は軽いが、
未来が見えないのは同じだった。
単調な日々だった。
閉塞していた。
そんな時、平原綾香に出逢った。
FMでジュピターを聴いた。
一瞬で魂を貫かれた。
衝撃だった。
なんだ、このウタは?
何よりその声の音色に圧倒された。
CDショップに行って探した。
有った。
ジャケットの写真を見た。
美しい女性が微笑んでいた。
恋に落ちた。
ファーストアルバムオデッセイ。
購入した。
それから7年程のあいだ、
平原綾香のウタが私の人生の伴侶となってくれた。
彼女のウタを道連れに、暗黒の世界を生き抜いた。
私にとって、彼女はSaviouressだった。
魂の救済者だった。
平原綾香のウタにはチカラが有る。
救済のチカラが。
苦しむ全ての人のために、
彼女は今日も魂を削ってウタをウタう。
自らの苦しみを糧にして。
これが私のJ-popセラピーの物語だ。
今苦しみの中にいる人は、
ぜひ平原綾香のウタを聴いてほしい。
きっと癒されるだろう。
少なくとも、私の魂は癒された。