専門だけでは
キビシイ。
インプットだけ
ではキビシイ。
専門の蓄積を
文章で表現
することで、
大勢の人の役に
立つ事が出来る。
だから、
自分の好きなコトで
精進するのと同時に、
そのプロセスを
文章に表現することだ。
文章にする事で、
自分の学びを
より深く理解
出来る様になる。
本当に理解しないと
文章に出来ないので、
自分の弱点を
知る事にもなる。
私自身も、
自分の思想の
進化のプロセスを
汎用ノートに書き
記してもう26年になる。
気がついてみると、
精神障がい者
幸福道を歩みながら
文章力をも
鍛える事となった。
蓄積と文章力の
相乗効果で、
今この記事を
描いている。
私の自己実現の
一つである
作家と言う夢が
ある意味叶った訳だ。
それだけではない。
文章で自分を
表現することは、
人間の持つ
根源的欲求なのだ。
人は誰しも他の人に
自分の事を理解して
貰いたい存在だ。
それが、
芸術の産まれた
理由だと私は思う。
そして、
人間が霊存在であり、
思考するエネルギー
であるならば、
文章による自己表現程、
自分を正確に表現する方法は
ないのではなかろうか。
と言うより、
描かれた文章が、
その人の本質なの
かも知れない。
だから、
人は日記を描く。
大学の時、
英詩の先生から、
文学とは自己解消だ、
と教わった。
その意味が
今は良く分かる。
私、文学部を
バカにする
時期もあったが、
やはり今は、
文学をやって
良かったと
しみじみ思う。
若い時に苦しみ
ながらした選択は、
間違って
いなかったのだ。